どうも、夢の一つがサンタクロースになることだったジョンです
子供の頃は信じていた人も、大人になると信じなくなる。
それが現代の日本におけるサンタクロースという存在。
あなたは信じていますか?
私は大人になった今でも信じています。
と言っても、自分の家に来たサンタクロースが本物だったとは思っちゃいませんよ。
ある日突然、親から「サンタのフリをしていた」なんて事を言われたら信じようがありませんからね。
べつに私は微塵も疑っていなかったんですけど、親としては中学生以降のクリスマスプレゼントを無くしたかったようです。
それでも……私はサンタクロースの存在を信じています。
理由は、幼少期に“本物”を見たから。
それについては、もう少し後で話すとして……。
私は常々、日本のサンタクロース文化に“ちょっとした違和感”を持っています。
それは親から受けた苦い経験のせいだけじゃありません。
自身が大人へと成長し、改めて両方の立場から世界を眺めたとき……
その景色があまりにも歪んで見えたんですよ。(大袈裟)
サンタクロースの伝承
そもそも『サンタクロース』って何者なんでしょう?
日本においては「望んだ物をプレゼントしてくれる奇特なおじいさん」とでも言ったところでしょうか。
お願いすれば叶えてくれる。
自分では手に出来ないような高価な物をくれる。
まるで孫を相手にする祖父母か、酔狂が過ぎる資産家のようなイメージです。
でも……こんな都合のいいサンタクロースなんてのは日本だけの話。
海外じゃあ「Give me!」とだけ言ってりゃいいようなもんでもなさそうですよ。
サンタクロースの起源として一番有名なのは、『聖二コラオス』という実在の人物。
「無実の罪で処刑されそうになっていた3人の男性を救った」
「子供を身売りしないといけないほど貧しい家に、窓から金貨を投げ入れた」
他にも沢山の慈悲深い逸話が語り継がれ、そこから生まれたのがサンタクロースの伝承です。
もちろん、あくまでこれは起源と言われるものの一つでしかなく、世界では様々な伝承が存在します。
例えばそれは神や妖精であったり、はたまた悪魔の化身だったり……。
容姿はもちろん、性別さえも違うのが世界のサンタクロースたち。(※正確にはサンタクロース的な役割)
ただ、そんなバラバラの伝承でも、多くの国で共通していることがあります。
それが……「悪い子はお仕置きをされる」というもの。
プレゼントの代わりに灰や石炭を贈られたり
ほうきでシバかれたり
他所の国へ連れ去られたり
或いは「サンタに食い殺される」なんていう、子供へのお仕置きにしてはヘビーなメニューもありますが……。
とにかく世界で共通している伝承を総合的に見ると
良い子には良い事がある
悪い子には悪い事がある
という「相対的平等」を教えていることがわかります。
でも日本はどうでしょう?
「良い子にしていればプレゼントがある」とは教えられるものの、それを破ったところでプレゼントが無くなるわけじゃなし。
ましてや悪い子へのペナルティも無いわけですから、そこから子供が何かを学ぶことはありません。
良い子だろうが悪い子だろうが、もれなく良い事がある。
つまり日本は、悪い意味で「絶対的平等」になっちゃっているんですよね~。
サンタクロースを日本へ持ち込んだときに間違いがあったのか?
それを伝え聞くうちに都合の良い姿へと変貌していったのか?
ハッキリとした原因はわかりませんが、日本のサンタクロースには「戒めの役割」がありません。
このように本来の伝承から離れすぎてしまったことで、次第に日本独自の「サンタクロース像」が出来上がってしまったんでしょう。
価値観にも問題あり
もう一つ、海外とは違うイメージになってしまった要因として考えられることがあります。
それは……プレゼントに対する日本人の価値観。
実は、本来のサンタクロースが渡すプレゼントというのは、せいぜい「お菓子」か「簡素なおもちゃ」といった小さい贈り物だけ。
日本のようにサンタクロースが高価な物をプレゼントするというのは、世界的に見ても非常に珍しいことなんだとか。
いや、珍しいというよりも「それは違うんじゃない?」と否定的に思われているレベルかもしれません。
そりゃあそうですよね~。
サンタクロースの贈り物は「個人的なプレゼント」やないんですから。
クリスマスの習慣や捉え方は国や宗教によって違いますが、概ね一般的には「キリストの誕生を祝い、皆で楽しみ、喜びを分かち合う」という解釈で間違いないでしょう。
ざっくり言えば「みんなでハッピーな気持ちになろう」という感じです。
そして、この場合の喜びとは「物に満たされる事」じゃなく、内面から湧き出る『感謝の気持ち』を指しています。
つまりプレゼントとは言うものの、誕生日や記念日のように何か特別な贈り物をする必要はなく、相手に「ささやかな幸せ」を届けられれば十分なわけです。
人々はメッセージカードで「気持ち」を贈り合い、そして、子供には“おまけ”としてお菓子が配られる。
その「小さなハッピーを子供へ届ける役割」を担っているのが、ご存知サンタクロースというわけです。
だから日本のように「サンタさん=高価なプレゼント」なんて、物欲を満たすようなイメージを子供に持たせてしまうことが否定的に思われても仕方がありません。
ただ単に「欲しい物が手に入る、高価な物を貰える」じゃあ……
スプーン一杯の幸せにさえ気付かない人間になりかねませんからね。
でも、そんな本質的な教えを無視しているのが日本のスタイル。
恐らくこれは、多くの日本人に「プレゼント=特別な事=高価な物」という価値観があるからなんでしょう。
金持ちを嫌い「清貧こそが正義だ!」と謳う割には、自分たちの手元に届く分には価値を求め……
しまいには「人からのプレゼントは、最低でも自分で買わないくらいの値段が良い」なんて、贈る側の気持ちを一切考えない相場が生まれる始末。
もちろん、すべての大人に当てはまるわけじゃありませんよ。
でも「値段と気持ち(愛情)は比例する」なんて、残念な価値観を持ってしまう人が居るのも事実。
これじゃあ「子供の喜びは、物に満たされる事だ」と思ってしまう親が居ても仕方がありません。
そんな影響もあり、いつしか「クリスマスには値の張るおもちゃを買い与える」ということが日本のマジョリティとなりました。
そして、そんな流れに便乗しておもちゃ業界もここぞとばかりに盛り上がるから、尚更「喜びの本質」を教えることに立ち帰れないイベントになってしまったわけです。
もっとも、既に日本は独自の文化としてクリスマスを作り上げてしまっているんで、今さらそれを変えることはできません。
たとえ「清貧に過ごそう」と言ったところで、人々からは「べつにキリスト教じゃないから」という開き直りが起こるでしょうし、おもちゃ業界が黙ってはいませんからね~。
サンタクロースは子供の夢
世界で言い伝えられているサンタクロースとは違い、そこには「戒め」というものが存在せず、また「ささやかな幸せに喜ぶ」という本質を教えることもない。
「只々、子供の望んだ物をくれる」というのが、日本におけるサンタクロースの姿です。
こうなってくると、もはや「楽しそうな上辺だけを真似たイベント」としか言いようがありません。
いや……それでもいいんですよ。
海外の文化を取り入れるならそれなりに理解をしておくべきですが、そもそも日本はキリスト教を信仰していたわけじゃありませんから。
だから外国の文化が真っ直ぐに伝わらず、次第に日本流へとアレンジされてしまうのも仕方がないことなんでしょう。
バレンタインは「スイーツ業界の書き入れ時」になっているし
ハロウィンは「ただのコスプレ祭り」になっているし
クリスマスに至っては「異性と過ごせたら勝ち組」という、わけのわからない状態になっちゃっています。(ま、私は負け越していますけど……っておい)
もちろん本来の形に則ってイベントを過ごす人たちも居るわけで、まるっきり原型を留めていないわけでもありませんが……。
第一、私自身はキリスト教徒でも何でもないんで、アレンジされた文化に対して斜に構えることはあっても「違うだろうが!」なんて非難はしません。
ただ『サンタクロース』という存在に対しては「もう少し真剣に考えたほうがいいんじゃない?」とは思います。
だって……サンタクロースは子供の『夢』ですから。
お菓子から「高価な贈り物」に変わってしまったのは仕方がない。
プレゼントを貰えることが当たり前になってしまったのも仕方がない。
でも……それが「空想上の人物」だと決めつけてしまうのは頂けない。
どんなに都合よく設定を変えたとしても、せめてその存在だけは守り続けるべきです。
重ねて言いますが、サンタクロースは子供の『夢』です。
にもかかわらず……日本の大人はサンタクロースの存在を雑に扱い過ぎやねん。
起源も伝承も無視し、自分たちにとって都合の良い「虚像」を作り上げては、その設定に乗っかって利用する。
そして、いよいよ都合が悪くなれば「そんなものは実在しない」と言い捨て、平気で『夢』を壊してくる。
私には、日本の大人が何をしたいのかがわかりません。
わざわざ子供に信じ込ませておいて、多感な時期になって「今までの全部、嘘だから」と裏切るんですから。
んなもん……サイコパスやがな。
中には「子供のうちだけでも、夢を見させてあげることが親の愛情」てなことを言う大人もいますが……
いずれ踏み躙られる夢を与えることが愛情だというなら「愛なんていらねえよ、冬」なわけです。
結局これは、大人がサンタクロースを信じていないことに問題があるんでしょう。
根本で「実在しない」と捉えているから、その存在を守る意識が無く、結果として子供の『夢』を雑に扱うことになるんですよ。
本物のサンタクロース
異国の文化が入ってくるまでは、確かに日本の何処にもサンタクロースは居ませんでした。
「居ない者」をわざわざ取り入れたわけですから、それが空想として広まるのは仕方のないことです。
「サンタクロースは実在しない」というのが日本社会の常識であり、そこで育った大人たちの考え。
だから、信じている者に対し「コイツ、本当に信じてるよ~」と社会全体が笑う。
でも生まれてくる子供には、わざわざそれを信じ込ませる。
そして再び、信じる者を社会が笑う。
一体、何がしたいねん。
本当、こんな事が何十年も繰り返されていることに違和感しかありませんよ。
……ところで
大事なことを言い忘れていましたが……本物のサンタクロースは実在しますからね。
冒頭で少し触れた、私が信じているサンタクロースの存在です。
現在、デンマークに本部を置く『グリーンランド国際サンタクロース協会』には公認のサンタクロースが120人ほど居て、彼らは世界中で活動をしています。
これは「実在させることで伝承や存在を守る」とも考えられますが、実は教会の根本的な目的は別にあるんだとか。
それは「人口が増え続ける中、流石に一人のおじいさんだと世界中の子供を相手にするのが難しくなってきたんで、その数を増やす」というもの。
……わりとサンタクロース側の事情なんですね。
とまあ、こんな馬鹿真面目に『夢』と向き合い、子供たちのために活動しているのが協会のサンタクロースたち。
だからこそ、彼らは『本物』なんです。
たしかに起源とされている聖二コラオスは大昔に亡くなっていますが、彼の慈悲深い心は後にサンタクロースという存在を生み出しました。
ならば……その意志を受け継ぎ、サンタクロースという役割を担う者は『本物』だと言えるでしょう。
少しマニアックな例えをすると……
『ルパン三世 GREEN VS RED』にあった設定のように、「実はルパンは世界中に居て、それぞれがルパン三世として生きている」みたいな。
「オリジナルはちゃんと居るけど、だからといって他のルパンが偽物というわけでもない」みたいな。
別の例えで言えば、『けっこう仮面』のように「一人のヒロインの正体が、実は6人姉妹だった」みたいな。
要するに……
サンタクロースというのは“特定の誰か”じゃなく、「役割を担う者」だったわけです。
これが真実。
この「受け継がれていく意志」としてのサンタクロースを私は信じています。
おそらく私が幼少期に見たのは、公認のサンタクロースだったんでしょう。
その姿を目にしたおかげで、後に親が存在を否定しても信じ続けることができました。
ならば、やはり私が見たサンタクロースは本物だったわけです。
子供の夢を守るために
単に真実を知らないだけで、日本の大人たちは勝手に「サンタクロースなんか実在しない」と決めつけ、それが事実だと子供に押し付けてきました。
サンタクロースを信じれば「幼稚だ」と笑い者にされ、信じない者が大人だと認められる社会だから、子供は『夢』を見ることを止めてしまうんでしょう。
でも先ほど話したように、サンタクロースは確かに実在します。
この世界では「意志を受け継ぎ、役割を担う者」をサンタクロースと呼ぶ。
ならば……子を持つ「親」もまた、本物のサンタクロースになり得るわけです。
(もちろん親だけじゃなく、私たち大人はその気になれば誰だってサンタクロースになれます)
ただし、その正体を明かすことは許されません。
ましてや自ら「偽物だ」と名乗れば、その瞬間に全てが“嘘”になってしまいます。
だから、その自覚を持ってもう少し真剣に考えてあげましょう。
どうすれば子供の夢を壊さずに済むのか?
どうすればサンタクロースという存在を守れるのか?
私はそのことを考えていくうちに、ある一つの問題に辿り着きました。
そもそも……サンタクロースの設定が粗いねん。
「サンタクロースが来るのは子供のうちだけ」と言いながら、その基準が明確に定められていませんからね。
一口に「子供」と言っても幅が広く、年齢が上がるほど正体を知られてしまうリスクが高くなるというもの。
物事を知っていくうちに余計な情報を耳にしたり、現実離れした設定に疑問を持ち始めたり。
特にスマホやPCを買い与えられている現代の子供は、親より就寝時間が遅いなんてことも珍しくないわけで、そうなるとプレゼントを枕元に置く隙もありません。
ならば……もっと早い段階でサンタクロースの“出番”を終わらせるべきでしょう。
片想いは片想いとして終わらせたほうがフラれることもないように、夢もまた夢のまま終わらせれば壊れることもないというわけです。
例えば、サンタクロースがプレゼントをくれるのは「9歳までの子供」という約束事にするとか。
と言っても、その年でクリスマスのイベントを終わらせるわけじゃありませんよ。
「10歳以降はサンタクロースが来ないから、その代わりに親がプレゼントを贈る」という新たな習慣にシフトチェンジするわけです。
これならプレゼントをくれる人が「サンタクロース」と「親」とでハッキリと区別されているんで、同一人物かどうかを疑う余地も少なくなるはず。
仮に10歳以降で疑うようになったとしても、その年齢じゃサンタクロースが来ることもないんで確かめようもありませんよね。
夢は夢のまま終わらせる。
どうです?
我ながら良いアイデアだと思うんですけど……。
もっとも、このような設定に変更したからといって、それで子供の『夢』が100%守られるわけじゃありませんけどね~。
なんせ……サンタクロースを信じない大人が『夢』を壊してきますから。
真実を知る時
残念ながら、世間では「親がサンタクロースのフリをしているだけで、本当は実在しない」なんてことが常識として浸透してしまっています。
特にテレビなどのメディアでは「子供を騙している」かのような表現がされていますし、それを面白がって話す大人も居たりするわけで……。
そうなると、いくら家庭内で約束事を教えていたとしても、第三者にぶち壊される可能性は十分に考えられます。
もちろん子供がいくら純粋に信じていたとしても、いつかは正体を知られてしまうもんですが……。
余計な情報を耳にしたのか、親の不注意で隠し通せなかったのか、或いは、全てを理解し得るほどに成長したのか。
ただ一つだけ言えるのは……
「真実を知る」ということは、それまで信じていた『夢』との向き合い方が変わるということ。
だから、その時のことを考えてあげるのもサンタクロースである大人の役割です。
例えば、世間じゃ「子供が現実を知ることも成長のうち」だと思っている人も居ますが、なにもわざわざ急いで教える必要はありません。
特に私が今回話したような「受け継がれていく意志」という内容は、大人の視点を持たない子供が簡単に理解できるわけもなく……
たとえ「親がサンタクロースだった」と話したところで、残念ながら「親がサンタクロースのフリをして騙していた」なんて勘違いをして傷付くのがオチです。
また大半の親が「子供は現実を知っても、特にショックを受けている様子はない」なんて思っているようですが……これも大きな間違い。
子供は全てを受け入れたから“普通”の振る舞いをしているわけじゃありません。
怒ったり泣いたりしているなら、それはまだ夢と現実がぶつかっているということ。
『信じる心』が抗っている証拠と言えます。
でも、もし「子供がショックを受けていない」と見て取れたのなら……
それは『夢』と一緒に『信じる心』が壊れたということです。
こんなことにも気付けないから、平気で「親が偽物を演じていた」とか「嘘だった」なんて言ってしまうんでしょうね。
何度も言いますが、この世界にサンタクロースは実在します。
そして、親だって本物の一員です。
だから「子供に正体を隠す」ということはあっても、それは子供に嘘をついて騙しているわけじゃありません。
でもそれを理解できるのはもう少し年齢を重ねてからのことで、まだまだ「親に騙されていた」としか受け取れない子供に教えるべきことじゃありません。
そして何より……親が自ら「偽物だ」と言うのは間違いです。
そんな事をすれば直ちに夢は壊れ、そこには「騙された」という印象と親への“不信感”しか残りませんからね。
(そもそも親だって本物なわけで、それを偽物ということ自体が間違いなんですけど……)
子供に『夢』を語るなら……
大人は最後まで責任を持たなあかんのです。
……さて
いかがでしたか?
結局のところ、全ては「夢を見ない大人」が子供の夢を壊している。
自分たちも子供の頃に夢を壊され、そして、同じ仕打ちを新しい世代にぶつけている。
私にはそのように見て取れます。
あなたには、どのように映っているでしょうか?
この世界が歪んでいるのか。
それとも……『夢』を見過ぎた私が歪んでいるのか。
それではまた、別の話でお会いしましょう
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