ジョンです
世の中には、友達の作り方がわからなくて悩んでいる人が沢山いるそうな。
「友達の作り方がわからない」
「どうすれば友達を作れるのかを知りたい」
そんな相談事をテレビやラジオで最近やたらと耳にします。
特に10代の学生に多いかと思いきや、大人になってから悩んでいる人もいるようですね。
そういえば十数年以上も昔、そんな相談を受けたことがあったっけ……。
あの時はうまく答えを見つけてあげられなかった気がする。
なんせ「友達作り」なんて考えた事もなかったんで……。
どちらかといえば人見知りをしないタイプだったり、「人との接し方」や「人付き合いのスタンス」が独特だと言われる私。
先ほども、初めて入った煙草屋の主人とすっかり話し込んでいました。

人見知りで悩んでいるなら、こういった話のほうが参考になるかもしれません。
でも「友達作り」となると、少しテイストが変わってきます。
ちょっと無責任に聞こえるかもしれませんが、あまり悩むことじゃないんですよ。
人見知りであろうが、コミュニケーションが苦手だろうが、どんな人でも友達は出来ます。
いや……「出来る」とか「作る」とか言うから話がややこしくなるんですよね。
友達っていうのは「出会う」もんですから。
友達の形?
そもそも何をもってすれば友達になるんでしょう?
例えば「○○友達」という呼び方は、一つの目的や価値観によって繋がっている関係性です。
だから、そのカテゴリーに特化して交友関係を広げれば「○○友達」に出会えます。
或いは、こういったピンポイントで出会いを求めることを指して「友達を作る」と言うのかもしれません。
でも漠然と『友達』と言ってしまえば、「何をもってして友達と呼ぶのか?」が非常に曖昧さを増します。
一緒に遊ぶ、食事をする、相談をする、バカ話をする……。
友達と共にする行動を挙げていくことは出来ますが、これだとキリがないですね。
それに、これは友達じゃなくてもあり得ることかもしれません。
友人とまではいかない間柄であっても機会があれば遊ぶし、距離があるからこその相談もできます。
じゃあ今一度、何をもってすれば友達になるのか?
知人や顔見知り程度の人より親しくて、家族とは違った仲の良さがあって、恋人とは別の絆があって……。
他の関係性との違いで考えていくと、あまりハッキリしないというか……やや抽象的な感覚の表現になります。
ん?
どうやら辞書には「友達の意味」が載っているようですよ。
「互いに信頼関係をどうたらこうたら……」みたいな。
友達というものに的確な「定義づけ」がなされていました。
ここまで色々と考えておいてなんですが……そんなんどうでもええんですわ。
一般的な「定義」だろうが、自分なりの「友達像」だろうが、それを相手に求めるわけじゃないんですから。
結局のところ、相手に対して「友達かどうか?」を判断するのは『距離感』
親友か?友人か?ただの知人か?
自分の中で相手との距離感を「丁度いい言葉」に置き換えているだけです。
言ってしまえば、この感覚は一方的なものだと言えるでしょう。
だから逆に考えれば……自分が友達だと思えば友達なんです。(一方的に馴れ馴れしいのとはちゃいますよ)
いや、ホンマに。
先ほどから話しているように「何をもってすれば友達か?」を考えても、出てくる答えには個人差があって、その輪郭も曖昧な形をしています。
だから漠然とした『友達』という言葉を使うとき、その関係性に「何か決まった形」があるわけじゃないんです。
私自身、友達との付き合い方は十人十色、誰一人として同じ形の関係性はありませんからね。
大事なのは「カタチ」じゃなくて「キモチ」ですよ。
お後がよろしいようで……。
いや、終わったらアカンがな。
友達のルール?
自分が友達だと思えば友達。
それは自分との距離感を表現している言葉で、相手に対して一方的に思っているもの。
こんな言い方をしたら寂しく感じますか?
でも安心してください。
だいたい自分が相手のことを近くに感じていたら、相手も同じくらいに感じているもんですから。
そりゃあ中には「自分だけが友達だと思っていた……」なんてことがあるかもしれませんが、それはそれで「一方的」ということの証明にもなります。
……ん?
もしかしてなんですけど……
友達作りで悩んでいる人って「相手から友達と思われないといけない」なんて考えていたりしていませんよね?
いや、まさかとは思うんですけど……携帯やスマホの普及で「コミュニケーションの形」も変わってきましたから。
メールやlineは相手の連絡先を教えてもらわないと会話ができません。
SNSはお互いにフォローしないと「繋がり」を持つことができせん。
もちろん「メール」は会話をする手段の一つに過ぎませんし、「フォロー」で繋がるのは、あくまで利便性・機能性を追求したシステムなだけです。
でも、こういったコミュニケーションが「基本」であり「全て」だと思っているとしたら……。
もしかしたら「SNSで繋がっていることが友達の条件」なんて考えているかもしれません。
或いは、現実世界でも「互いに“友達だ”と示し合わせなければ友達じゃない」なんてルールがあると思っているとか……。
いやいや……そんなルールがあってたまるかい。
わしゃガラケーやからlineができへんねん。(そういう問題でもない)
そんな「相手からの友達承認を待つ」なんて受け身の関係性は、ヘタすりゃ「一方的に友達と思っていること」よりも寂しい状態ですよ。
自分が友達だと思っていても相手が同じとは限らない。
でも、たとえそれが違ったところで大きな問題じゃありません。
大事なのは「自分が相手を友達だと思っている」ということですから。
「相手にどう思われているか」を考えるよりも、「自分が友達だと思える人に出会えた事」を喜ぶべきじゃないですかね。
だとすれば、もはや友達かどうかもどうでもよくなってきます。
その人が居てくれることが嬉しいんですから。
「不思議と気が合う」「妙に落ち着く」「一緒に居て楽しい」
そんな人と出会って、共に歩んだ時間を振り返ったとき、そこにできた『道』が友達の形なのかもしれません。
(※実際に一緒に居たとかだけじゃなく、相手のことを考え、その存在を感じながら過ごした時間も込みで)
そして、その道の先に続く未来を見据えて「きっとこれからも、この関係は続くんだろう」と信じることが『絆』なんだと私は思います。
だから「まだ『道』もできていない段階」でアレコレ悩むもんじゃないんですよ。
仲良くなったら?
ちょっと余談なんですけど……
いつの間にか当たり前のように使われている言葉に「仲良くなったら……」というのがあります。
知り合ったばかりや、親しいけどそれほど近くない間柄で飛び交う言葉です。
「仲良くなったら遊びに行きましょう」
なんやねんそれ。
「仲良くなったら、食事に行きましょう」
「仲良くなったら、カラオケとか行きたいなぁ~」
「仲良くなったら、みんなでBBQ行かない?」
いや、仲良くなる前に行けよ。
時間を積み重ねずに、どうやって仲良くなるねん。
え、もしかして『ポイント制』みたいな感じですかね?
「仲良しポイント」を貯めたら遊びに行けますよ的な?
おめでとうございます。
500ポイントが貯まりましたので、こちらの新しい台紙と交換です
いらんわ
いや、このボケは何やねん。
この「仲良くなったら」を前提にしていると、本当に仲良くなる機会を逃してしまうかもしれませんね。
そもそも「仲良くなった」というのは、積み重ねた時間の結果ですから。
ときに人は、互いに様子を見合う「多少のぎこちなさ」を経て仲良くなるもんです。
そりゃあ、中には「あなたと行動を共にしたくない」という遠回しの拒否を意味して使う人もいますけどね~。
でも、少なくとも自分だけは「仲良くなったら……」なんてフィルターをかけないでいたほうが、それまでよりも人と仲良くなれる機会が増えますよ。
やっぱりわからない
人と出会い、時間を積み重ね、互いの絆を深める。
これは「友達ができるまでの過程」です。
だとすると……これが友達の作り方なんでしょうか?
そんなことはないですね。
- どこに出会いがあるのかもわからない。
- どんな時間を積み重ねれば最善なのかもわからない。
- 何が互いの絆を深めるのかもわからない。
結局のところ「友達ができた」というのは結果でしかなく、本人たちも「どうして仲良くなったのか?」なんて、実際に仲良くなるまでわかんないもんです。
「友達の作り方はわからない」ということがわかりました。
でも「そんなことはわからなくていい」ということもわかりました。
やっぱり悩むことじゃなかったんですよ。
それでもまだ「友達を作るために何か具体的な方法がある」と思ってしまうなら、もしかしたら根本的なことを見失っているのかもしれません。
そもそも「友達作り」を目的にするのがお門違いなんですよね。
一緒に遊びたい
一緒に食事をしたい
だから誘う。
会話をしたい
相手のことを知りたい
だから話し掛ける。
共に時間を積み重ねる目的は「友達を作ること」じゃありませんから。
お気づきですか?
このブログに遊びに来てくれた時から、既にあたなは私の親愛なる友人の一人です。
えぇ、もちろん私の一方的な気持ちとしてですが……。
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