ジョンです
時代劇が好きで、これまで数々の作品を観てきました。
ただ、時としてイラっとすることがあります。
べつに文句を言っているわけじゃないんですよ。
ケチをつけているわけでもありません。
なんというか……登場人物の行動にツッコみたくなる。
それが「お決まりのパターン」だったりするわけですが、どうも観ていて心穏やかにはいられません。
言い換えれば、まんまと作り手の術中にハマっているわけですね。
というわけで今回は、私がイラッとする時代劇のパターンのお話。
※特にどの作品というわけでもなく「時代劇全体のあるある」なんで、わりと抽象的な表現になっていますが「なんとなく伝わればいいかな~」と思っています。
あなたは共感してくれますか?
大事なことを言わない
多くの時代劇は「話毎に起こる事件」に対する主人公の謎解きが本筋です。
そして事件の被害者や関係者として「ゲスト」が登場します。(主役以外のレギュラー陣がなる場合もある)
事件を起こした犯人は誰か?
隠れている黒幕は誰か?
仲間やゲストの命を狙っているのは誰か?
要は「誰を成敗すればいいのか?」を開始45分くらいまでに探すわけです。
そんな中、主人公の視点とは別にゲストが「重要な手掛かり」に気づくことがあります。
犯人や黒幕、敵のアジト、或いは何かしら事件解決の糸口になりそうなヒントなど。
それを誰にも言わない。
様子がおかしいからと主人公が尋ねてみても言わない。
「なにかあったのか?」
「……いや、別に」
言わんかい!!
事件を解決しようとしている人に重要なことを話さへん利点は何やねん?
それでいて、自分や身内が襲われたり人質にとられたりすると……
「……実は」
遅いねん!!
もっと早くに言わんかい。
それを聞いて主人公が「よくぞ話してくれた」
いや、あんたもチョットぐらい怒らんのか~い。
人の命が懸かってかかっているんやし……。
「なんでもっと早く言わなかったんだ!!」くらい怒鳴ってもええやん。
自分から危険な目に遭う
主人公の周りにいる仲間は、腕っぷしがあったり、身のこなしがよかったり。
たとえ町人であっても、命の危機に関わるほど危険な目には遭うことは少ないもんです。(女性は除く)
でもゲストで登場する町人は……普通に弱い。
というか、町人だからそれが当たり前なんですけどね。
そもそも強ければ事件に巻き込まれませんから。
にもかかわらず……単身で敵のアジトに乗り込む。
なんでやねん!!
先ほどの「重要な手掛かりに気づいても黙っている」とセットになっていることも多いパターンです。
「もしかして……」と気付いて乗り込む。
そして「お前が犯人か?」と問い詰める。
いや、その確認……いる?
人を殺めるほどの悪者に「私は口封じするべき人物です」と教えに行っているようなもんですよ。
「だったらどうする?」
「お上に訴えてやる!!」
何がしたいねん。
じゃあ、はじめから奉行所に行くなり主人公に言えば済む話やがな。
そもそも十中八九”クロ”やとわかっているんやから、べつに確認とかよくない?
足手まといになる
自分一人で危険な目に遭うのは、百歩譲って気持ちを察することはできます。
でも主人公の「足手まとい」になるパターン、特に女性に多いんですが、こればっかりはイライラを通り越して腹が立ってしょうがない。
よう考えてから行動せんかい……と言いたくなるほど。
「私も行きます」
「大丈夫、俺に任せておけ!」
……
―主人公、敵地でチャンチャンバラバラ―
「そこまでだ!刀を捨てろ!」
「何?」
「こいつの命はどうなってもいいのか?」
「……お前、なぜここへ?」
なんで来とんねん!!
「ごめんなさい、でも私……」
デモもメーデーもあるかい。
武芸を身に付けていない女性が、人を斬りまくっている男たちの中に入って何ができんねん?
「任せておけ」が遠慮じゃなくて「足手まといになるからついてくんなよ」という意味やと汲み取らんかい。
ちなみに、もう一つのパターンとして、女性が『人質』で捉えられていた場合。
敵に気付かれないよう主人公が潜り込み、女性の縄をほどいてあげる。
「危ないから、ここでじっとしていなさい」
「はい」
……
―主人公、敵とチャンチャンバラバラ―
「そこまでだ!刀を捨てろ!」
「何?」
「こいつの命はどうなってもいいのか?」
「ごめんなさい、私……」
もうええわ
本当はツッコむことを楽しんでいるだけ
いかがでしたか?
「やだ~わかる~」という共感ポイントはありましたか?
正直に言って、こういった演出もなく登場人物の全員が主人公に協力的だったら……
ものの15分ほどで話が終わってしまいます。
だから敢えて結末まで遠回りしているというか、その「遠回り」を楽しむことが時代劇の醍醐味だったりするんですよね。
ただの町人や町娘が「人を斬りまくっている集団」の中に飛び込むなんて愚の骨頂。
でも、その愚かさの裏には必ず「人間味」が感じられます。
私は、それが好きで時代劇を観続けているのかもしれません。
それではまた、別の話でお会いしましょう
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