左利きの私が伝えたい、子どもを矯正させる前に知っておいてほしい話

 

ジョンです

 

食事をしていると、しばしば同席している人に驚かれることがあります。

「左手で箸を持っている!!」と

生まれてから数十年、数えればキリが無いほど言われ続けているこの言葉。

一度くらい「右手で茶碗を持っている!!」と驚かれてみたいもんです。

 

……さて

お察しの通り、私は『左利き』です。

ラーメン屋のカウンターで左隣に気を遣い、駅では左隣の改札に切符を通すという、この世界のマイノリティに生まれました。

その割合は、成人の人口で8~15%(うち男性は5%で女性は3%)

これは大昔から変わらず、常に「人類の1割」が左利きとして存在しているんだとか。

 

不思議なことに、良くも悪くも世の中では左利きを特別視しているきらいがあります。

今でこそ「天才肌」なんて持ち上げられていますが、昔は「知的障害者」として扱われていましたからね。

そんなマジョリティの「手の平の返しよう」に若干イラっとしますが、それは置いといて……。

 

どうやら最近は、自分の子どもを左利きに矯正しようとする親がいるんだとか。

「スポーツ最強説」なんて話がまことしやかに囁かれていますし、名立たる偉人が左利きだったことも関係しているんでしょうね。

正直に言ってオススメできませんよ。

子どもが自ら望んだならまだしも、大人の一存で矯正することはマイナスでしかありませんから。

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天才肌と言われる理由と、その代償

ミケランジェロやラファエロ、パブロ・ピカソといった芸術家。
モーツァルトにバッハ、ベートーヴェンなどの作曲家。
アインシュタインやニュートン、エジソンといった科学者。
他にはナポレオンやビル・ゲイツなど。

私が尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチ先生や、チャールズ・チャップリン師匠もそうですし、勝手にシンパシーを感じている詩人のゲーテや哲学者のニーチェも左利きです。

 

でも……ただそれだけ話。

こうしてずらずらっと名前を挙げれば「いかにも」な感じがしますが、よくよく考えると全ての偉人たちの中の一割にしかすぎません。

そこに気付かずに「左利き=天才」という構図を鵜呑みにしてしまうから、左利きに矯正させたい親御さんがいるんでしょう。

 

あらかじめ言っておきますが、左利きになれば脳が発達するわけじゃありません。

もし「左利きは頭の回転が速い」と思っているのならば、それはただ左利きが右利きの人よりも「チョットだけ多く頭を使ってきた」というだけなんです。

自分がそうだからわかるんですが、左利きというのは「目の前に広がる世界」が右利きの人のそれとは違って感じます。

この世界は……右利きを『基準』として作られていますから。

 

たとえば「駅の改札」といった施設もそう、「ハサミ」などの道具もそう、多くは右利きの人に使い勝手がいいようにできています。

だから左利きは、生きていくために自らが対応せざるを得ない。

言わば「右利きに用意された道理」を、頭の中で「左利き用に翻訳する」という作業が必要になるわけです。

 

平たい表現をするなら「生まれてからずっと脳トレで頭を鍛えている」みたいな。

改札に切符を通すだけでも「左手を右に持ってくるか?」「慣れない右手で持つか?」という2つの選択肢。

でも、どちらにせよ自分にとっては不自然な行動なんで、結局は頭を働かせないといけない。

左利きが右利きの世界に生まれると、ほぼ全ての行動に対して「一つ余計に頭を使う」というわけです。

 

多くは無意識のうちにしていることですが、その積み重ねで培った『対応力』が、天才肌と呼ばれたり、頭の回転が速いと言われることに繋がっているんでしょう。

「じゃあ、尚更、左利きに矯正させるべき!!」なんて思いますか?

先ほど話したように「左利きの対応力」は後天的に備わったものなんで、当然に個人差があって、中には物凄くどんくさい人だっています。

左利きになれば、もれなく頭の回転が速くなるわけでもないんです。

 

それに「右利きの道理を左利き用に翻訳する」という作業には、わずかながらストレスが生じるんですよ。

本人も感じない程度だったりしますが、その積み重ねの結果なのか……左利きは右利きよりも寿命が短いというデータもあります。

ということは、右利きをわざわざ左利きに矯正して、そして右利きの世界に対応させるなんて、左利きよりもストレスの量が多いじゃないですか。

だから私としては「いっそ脳トレでもやらせておけばいいんじゃない?」なんて思うわけです。

 

「それじゃあ、左利きの子どもは右利きに矯正したほうがいいんじゃ……」

おそらく、こう思う親御さんは多いかもしれませんね。

でも……それこそ止めたほうがいいですよ。

 

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幼少期に利き手を矯正し易い理由

いまだに左利きの子どもを矯正させる大人が多いと聞きます。

「生活に不便で困るだろう」という親心や、或いは先ほどのように「ストレスで寿命が短くなる」という話を聞いたからという人もいるでしょう。

ただ大前提として言っておきたいんですが、「左利きを矯正すべき」と感じているのは、その人が右利きだからなんですよね。

自分が右利きだから、左利きの全てを理解できないんです。

 

だから安易に「矯正すればいい」なんて考えてしまうんですが、その人たちは、それが危険なことだと知っているんでしょうか。

「幼少期に利き手を矯正すると、後々、何かしらの影響が出てくる可能性がある」ということを。

「そんな大袈裟な……」と思われるかもしれません。

「幼少期のほうが矯正し易いから、早いうちに矯正したほうがいい」なんて言われていますからね。

でも……そもそもそれが間違いなんですよ。

 

というのも、実は私、筆記だけは右手に矯正させられているんです。

私の親は利き腕に寛容だったというか、そもそも父親が『両利き』だったんで、左右どちらで動作を覚えようと問題ではありませんでした。

 

でも学校じゃ、そういうわけにはいかないんですよね

私が小学一年生のとき、担任の先生は超ベテランの「昔の人」だったんで、最初に左手で字を書いている私を見て「お前はキチ○イか!!」と怒鳴ってきました。

冒頭でも言いましたが、昔は左利きを「知的障害の一種」として扱っていましたからね。

そりゃあ、9割の人間が容易に出来る動作を同じように出来ないわけですから、「多数の正しさ」から見ればそうなってしまうんでしょう。

 

私が子どもの頃は左利きが障害じゃないことは広く知れ渡っていたんで、せいぜい「変わり者扱い」くらいなもんでしたが、昔の人からするとアレのままなんですよ。

学校の授業では五十音を習う段階ですが、その頃にはすでに左手で文字を覚えていたんで、一から右手を使っての筆記を覚えるなんて無茶な話。

それでも左手を使うたびに授業を止めては吊し上げられ、クラス中にも「キ○ガイ」と笑われ馬鹿にされるのが嫌だったんで、一年掛けて右手での筆記を覚えました。

 

……さて

べつに私の過去はどうでもいいんです。

ただ、私は幼少期に左手を矯正された者として、子どもの利き手を変えようとしている大人に伝えたいことがあります。

世間では「幼少期なら利き手は容易に矯正できる」なんて言いますが、あんなのは大きな間違い。

大人も子どもも矯正することが困難だということに変わりはありません。

これは単に子どものほうが……矯正せざるを得ないくらい「精神的に追い込まれた状況」になりやすいだけなんです。

 

なんだかんだ言って、子どもは大人に生かされている存在。

必ず大人に従わなければいけない状況はありますし、大人はそれを利用して子どもに言うことを聞かせようとします。

つまり「子どもの利き手を矯正できた」というなら、それは即ち「そこまで子どもを追い込んだ」ということですよ。

 

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左利きを矯正させられる気持ち

「幼少期に利き手を矯正すると、後々、何かしらの影響が出てくる可能性がある」と言いました。

よく言われていることだと「とっさに左右がわからなくなる」や「鏡文字になる」という症状など。(実際、私もしばらくの間は鏡文字でした)

 

他には「性格が歪んだり、精神的にアレになる」とも言われています。

昔は「脳の使い方が変わるから」みたいに考えられていましたが、先ほどの話を聞いてもらったら、そんな理由じゃないことはお分かりでしょう。

「精神的に追い込まれている」わけですから、子どもは尋常じゃないストレスを受けるんです。

そうなれば、性格が歪んだり、精神的にアレになってもおかしくはありません。

 

ただ、これは単なるストレスだけの問題じゃないような気もします。

だって左利きを矯正されるということは……自分を否定されているということですから。

未だ利き手がある理由は解明されていませんが、少なくとも「人類の一割」というマイノリティが、その人の『自分らしさ』であることは間違いないでしょう。

「左利きは個性的な人が多い」と言われますが、それは『自分らしさ』と世界との摩擦が大きいからです。

 

右利きに用意された世界で「左手を主体」に行動している。

生まれてから覚えていく一つ一つの動作は、べつに「左手を使え」と教えられたわけじゃありません。

目の前のコップを掴むことも、ハサミを持つことも、鉛筆で文字を書くことだって、無意識の自分が左手を選びました。

それが当たり前で生きているんです。

でも、それを「間違いだ」と言われ、「不便だろう」と哀れみを持たれ矯正させられる。

 

たしかに不便だとしても、それは機転を利かせて対応すればいいだけの話で、現にそうして生きています。

にもかかわらず「そもそも左利きでいることが間違い」という扱いをされる。

大袈裟かもしれませんが、自分を、その「生き方」を否定されているわけです。

そんなことをされたら、心の中に「大きな歪み」が生まれるかもしれません。

或いは『自分らしさ』を見失ってしまうことになるかも……。

 

あくまで「可能性がある」という話なんで、矯正された子ども全員がもれなくアレになるわけじゃありません。

現に私は性格も歪んでいませんし、精神的にも問題ありませんから。(左利きということに固執しますが……)

あ、性格が捻くれているのは生まれつきです。

とはいえ、左利きの子どもを矯正すると「極度のストレス」を与えることになりますし、少なからず心が傷ついているので、なるべく止めてあげてほしいんですよね。

 

ジョン曰く
今では箸(左)と筆記(右)以外は両利きになりましたよ。
「都合のいいほうの手を使う」というのも対応力かもしれません。
だから左利きで生まれたことが必ずしも不便だなんて思わないであげてほしいんです。

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