ジョンです
時代劇を観ていると「どんなことでも商売になったんだなぁ」なんてことを思います。
もちろん、時代劇自体がフィクションなんで、どこまで信じていいものかわかりませんが……。
とはいえ、現代のように便利な世の中じゃない分、それを補う「人の手」に価値があったのは間違いないでしょう。
私が面白いと思ったのは「目洗い」という商売です。
目に入ったゴミを取ったり、ホコリっぽいのをキレイにしてあげたり。
今じゃあ大学教授も持ち歩いているくらい「手鏡」は当たり前にありますし、トイレに行けば水道もあるんで成立しない商売です。
便利な世の中というのは、ある意味で恵まれていないのかもしれませんね……。
というわけで、江戸時代の商売にまつわる雑学から3つを紹介します。
100円ショップ
不況、不況といわれる時代。
織田裕二よろしく「お金が無い!」なんて言いながらも、100円ショップに行けば大抵の物は手に入ってしまう現実を喜んでいいものかどうか……。
物価が下がれば利益も下がり、そのしわ寄せは人件費に回るのが今の世の中です。
人件費を削らずに利益を生む方法を考えることが正解だと言われながら、多くの企業では手っ取り早く従業員の人生を使って金をかき集める。
また「大量に仕入れたから」なんて商売上手を気取っていますが、結局は取引先の利益を奪っているだけの話。
結局のところ薄利多売というのは、「自分が定年したあとの会社なんか知ったこっちゃない」という幹部以上の懐に老後の蓄えをくれてやるようなもんです。
とはいえ、組織というのは得てして経営者が自分のために作り出した金儲けのシステムなわけで、そこに一々文句を言うのもお門違いだと笑われるでしょう。
ま、そんな切ない話をしていてもしょうがないんで、100円ショップの雑学でもしましょうかね……。
え?前フリに毒が多すぎる?
まあまあ
それはそうと、たしかに最近の100円ショップでは何でも売っていますよね~。
昔は「安かろう悪かろう」が当たり前でしたが、競合他社が多いからなのか、わりと商品のクオリティも上がっていますし。
そういえば昔、某有名100円ショップで「村西とおる監督の作品」が販売されていましたね。
自分の目を疑いましたが、今考えりゃ、どえらいことですよ。
DMM.comもビックリの破格です。
そんなことはどうでもいいんですよ。
この100円ショップが登場したときは、まるで「流通革命の申し子」のように取り上げられ爆発的ブームになりました。
……が、実は店内の商品を単一価格で販売する商法は、とくに目新しいものじゃございません。
古くは江戸時代の享保年間の頃、櫛や箸、筆、墨、人形などを扱った「十九文屋」なる店が流行っていました。
現在の100円ショップと同じく、店内の商品は何でも十九文(一文20円として380円くらい)というシステムです。
その後、明治末期から大正時代にかけて、和田小太郎という人が神田で「一〇銭店」を出しました。
これまた100円ショップと同じシステムで、店内の商品は全て一〇銭(一銭40円として400円くらい)、店も25店舗になるほど繁盛します。
1932年(昭和7)年になると、高島屋が「一〇銭ストア―」を全国展開。
最盛期には106店舗もあったというから、その大繁盛ぶりがうかがえます。
いまの感覚でいうと100円よりは少々高値に思えますが、「一〇銭ストア―」にはフライパンやネクタイも売っていたというんで、わりとお買得な店だったようですよ。
3コインの300円とか、ワンコインの500円といった感じでしょうか。
内職
江戸時代の変わった商売として「ちんこ切り」というものがあります。
「やだぁ~♪いきなり下ネタ~?」
「ちょっと~この人、お会計して~♪」
いや……そういうんじゃなくて……。
「背負い投げ~♪」
「ま~ぼ~ろ~し~♪」
やかましわ
「ちんこ切り」といっても、むろんアレをアレする話じゃありません。
漢字で書けば「賃粉切り」
賃金をもらって、葉タバコを細かく刻む手仕事を指します。
江戸時代後半、タバコが一般庶民にまで普及しますが、当時はまだ紙タバコではなく、刻みタバコを煙管に詰めて吸っていました。
そこで、タバコの葉を刻む専門の職人が現れたわけです。
ちんこ切り職人は、タバコ店から葉タバコを刻む仕事を請け負って、出来高払いで賃金を得ます。
といっても難しい職人技が必要なわけではなく、包丁があれば誰でも出来るんで、貧乏長屋の住人が内職で請け負うことが多かったんだとか。
レンタル業
企業がはじめたレンタル業の第一号は「電話機の貸し出し」と言われています。
電話を発明したアメリカのグラハム・ベルが、ユーザー拡大のため1887年に電話会社を設立し、有料で電話機を貸し出すというものです。
でも日本では、もっと昔からレンタル業がおこなわれていました。
それが江戸時代の「貸しふんどし屋」
汚れたふんどしを持っていくと、六十文で「洗濯と火のし(今でいうアイロン)」をしたキレイなふんどしと交換してくれるというシステムです。
当時は「そば一杯」で百六十文、これが高いのか安いのか?
ちなみに、ふんどしは男性が下半身を保護し清潔にするために身に着けていますが、実は女性も「女の子の日」には使用していたそうな。
え?
……いや、言いたいことはわかりますよ。
私もね……「なんか違うなぁ~」って思います。
だって現代でいうところの『パンツ』ですからね。
洗ったとはいえ、「他人の局部が直接触れた布」を身に着けるなんて意味がわかんないです。
同性の家族でもギリですよ。
それをレンタルするって……なんか違うよなぁ~、下着だもんな~、なんだか嫌だなぁ~。
怖いな~、やだな~、怖いな~、やだな~、怖いな~。
風がビューって吹いて、パタパターパタパターって。
あれ?何の話でしたっけ?
そうそう、「貸しふんどし屋」です。
ちょっと今の世の中では考えにくいんですが、なんでそんな商売が成り立ったんでしょうか?
当時、一枚の長さが六尺(約180センチ)ある「六尺ふんどし」は、男にとって必需品でしたが、なんと一本二百五十文もしたといいます。
そばの値段と比べたら、なかなか高価なパンツですよね。
もちろん一本で足りるわけもないんですが、何本もストックするとなると、かなりの出費になります。
でも、貸しふんどし屋を5回利用することを思えば一本買ったほうが安いわけで、長い目で見たらこっちのほうが出費も多いような……。
実は……値段だけの問題じゃありませんでした。
武士の中で最下級の地位にあった『足軽』は、ほとんどが独身。
しかも24時間勤務が当たり前だったんで、汚れたふんどしを洗っている時間もなかったというわけです。
なるほどねぇ、そういった事情を考えれば、貸しふんどし屋が成立するのもわかります。
……ん?
いやいや……そんなことより「24時間勤務」のほうが気になるわ。
そんなもん、ふんどしの洗濯どころか結婚相手の探しようもないですやん。
よくよく考えたら、ふんどしを貸しているというよりも、下取りをして中古を売っている感じですよね。
現代でいう古着屋さんみたいなものでしょうか?
いや、古着屋でも下着は扱わんか……。
というか、下着を買い取るとか言い出したら……チョット話がややこしくなるんで止めときます。
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