ジョンです
木の香り、木の温もり。
昔から鉄筋コンクリートの建物に住んでいるせいか、木造の家に憧れを抱いたりします。
自然に囲まれ、丸太小屋で暮らすというのもアリですね。
もちろん、お風呂はヒノキ造り。
そして何より「足が伸ばせる風呂」に入りたい。
……
だれが田中邦衛やねん!!
そういえば子どもの頃、近所で家を建てている大工さんに「ヒノキの切れ端」をもらったことがあります。
何に使うかというと……湯船に浮かべるため。
「せめて香りだけでもヒノキの風呂にしたい」という簡単な発想ですが、大工さんはわざわざキレイに形を整えてくれて、切れ端を2個もくれました。
ヒノキの香りって凄いもんで、切れ端だけでも十分に癒されます。
おかげで長年、香りだけはヒノキ風呂を味わってきました。
というわけで、木にまつわる雑学から3つを紹介します。
紅葉
季節が夏から秋へと移り変わり、冬を迎えるころには木々の葉が赤く染まりだします。
わりとベタな話ですが、この頃になると耳にする『もみじ』という名前。
実は……そんな植物はありません。
葉が赤くなることを「こうよう(紅葉)」といい、そして赤くなった葉を指して『もみじ(紅葉)』と呼ぶだけ。
実際、もみじと聞いて思い浮かべる「赤ちゃんの手」みたいなアレは『楓(カエデ)』の葉っぱです。
さらにツッコむなら、童謡で「もみじの葉っぱも真っ赤だな~♪」という歌詞も、そもそも真っ赤な葉っぱが『もみじ』なんで意味が重複しています。
「頭痛で頭が痛い」と言っているみたいなもんです。
これって重複の歌なの?
「重複の歌」ってなんだよ!!(※さまぁ~ずさんのネタです)
そんなことより
この紅葉という現象……なぜ起こるんでしょうか?
落葉樹の葉は薄くて広い形をしています。
それが、もし冬も葉をつけたままだったら、葉から水分が発散されるばかりで、木そのものが枯れてしまうかもしれません。
そこで木々は、気温が下がって根のはたらきも弱まると、老廃物とともに葉を落とします。
でも、無理に落とすというのは体を傷つけるようなもの。
人間でいうケガと同じで、切り口から細菌が入りやすくなることにも……。
そこで葉を切り離す準備として、葉の付け根に『離層』という細胞の層を作ります。
この離層ができると、葉から茎への養分の移動ができません。
葉で合成されたデンプンは、そのまま溜まっていき、やがて糖に分解されます。
また、低温になると『クロロフィル(葉緑素)』も老化していき、アミノ酸に分解されます。
……さて
先ほど話した『楓』などの紅葉する植物。
これらは、この糖とアミノ酸から『アントシアニン』という色素を合成します。
アントシアニンは赤い花に含まれている色素の仲間。
つまり、これによって葉が赤く染まるわけです。
ちなみに、葉が赤くならずに茶色や黄色になる植物は、糖とアミノ酸があってもアントシアニンが作られません。
葉が茶色になる「栗」や「欅」は、アントシアニンの代わりに『フロバフェン』という茶色の色素を作ります。
また、黄色になる「イチョウ」や「カラマツ」においては、新たに色素を作ったりはしません。
あの黄色は、もとからある『カロチノイド』という色素によるもの。
普段は葉緑素の「緑」が強いから隠されているだけで、葉緑素が分解されると、それまで目立たなかったカロチノイドが表面に出て、葉が黄色くなるというわけです。
毎年、決まって起こる「紅葉」という現象。
落葉樹からすれば「冬支度をしていたら、たまたま葉が赤く染まっていた」というだけのことでした。
「ただひたすらに生きている姿が美しい」
自然の芸術を目の当たりにする度に、それを教えられているような気がします。
街路樹
街路樹とは、都市の市街地内の道路に、景観をよくし、環境の保全・向上を図るために植えられた樹木のこと。
さらに直接的なことを言えば、防風、防塵、防煙、防暑、防火といった目的もあります。
残念ながら、地方によっては「管理の問題で枝ごとバッサリ切り落としている」なんて話を聞きますが、ちょっと悲しくなりました。
というのも、この街路樹というのは……もともとは別の目的で植えられたんだとか。
それは759(天平宝字三)年のこと。
奈良東大寺の僧、普照法師の要請に基づいて、果樹を植えるための布令が太政官符として発せられました。
ま、簡単に言えば法律が施行されたわけです。
指定されたのは、七道駅路(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)の路側の両側で、これが日本で最初の道路植樹の記録だとされています。
この街路樹政策の「お手本」となったのが、当時としては世界最大の都市とされた唐の長安に植えられている街路樹。
唐の六代皇帝である玄宗の勅令によって、長安と洛陽を結ぶ道などに果樹が植えられたといいます。
その果樹は、夏は繁った葉が人々の暑さを癒し、秋には実った果実が空腹や飢えを癒します。
実は普照法師は『遣唐使』として唐に留学経験もあり、そんな長安の街並みを見て「奈良の都にも街路樹を植えたい」と考えたんだそうな。
京へは各地方から年貢や税金が集まり、それを運ぶ農民は主要な道路を行き来していました。
そんな人たちの苦労を少しでも和らげたい、飢えや乾きを癒してあげたい。
こういった普照法師の気持ちが、果樹の並木植樹につながったというわけです。
今じゃ果実が実るような木は植えませんから、そこまで当時の「思いやり」が受け継がれているわけでもないんですが、少なくとも暑さなら癒せます。
もちろん地方自治体には財政の問題もありますし、近隣に住む人にも事情があったりします。
ただ、「思いやり」で始まったものが、後に「管理できない」と終わらせてしまうという部分だけを切り取って見ると……やっぱりチョット悲しいですね。
切り株
「切り株の年輪を見れば方角がわかる」という話があります。
子どもの頃に読んだ『キャンプ大百科』みたいなアウトドアの本にも書いていましたし、何かしら豆知識で聞くこともありました。
この話の詳しい説明はこうです。
「樹木は日のよくあたる側の成長のほうが早いから、年輪の幅に差が生まれる」
「だから年輪の幅の広いほうが南の方角だ」
というもの。
……ちょっと待ってください。
この話を信じちゃうと……山道で迷ったときに大変なことになりますよ。
「そもそも山で道に迷ったら、都合良く切り株があるんだろうか?」
いや、そういう話じゃないんです。
実は……この話には、なんの根拠もありません。
たしかに年輪が一年に一本ずつできるのは事実。
ただ、年輪の幅は「日の当たり具合」ではなく……「山の傾斜」によって生まれることが多いんですよ。
斜面に生えている木は、どうしても谷側に傾斜しがち。
そこで谷側へ倒れるのを防ぐために、谷側のほうの成長が早くなるといいます。
その証拠に、平らな場所に立っている樹木の場合、年輪の幅は「ほぼ均一」ですから。
また、針葉樹と広葉樹でも年輪のでき方に違いがあります。
針葉樹の場合、自分の幹の中心を斜面の上のほうにもってきて、倒れないようにするために下側に向かって年輪が広くなる。
反対に広葉樹の場合は、自分の幹の中心を斜面の下のほうにもっていき、上側に向かって年輪が広くなる形でバランスをとります。
このように年輪の幅ができる『条件』は様々ですが、いずれにしても方角とは無関係ということです。
「切り株で方角がわかる」
この話を信じて突き進むと、とんでもないことになりますね。
もとより「年輪のでき方」を知らなくても、この話は怪しいと思っていましたけどね。
だって本当に日に当たる側の成長が早いなら、すべての木が日陰の方に曲がっていてもおかしくありませんから。
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