世の中の「不倫叩き」、その裏に潜む『何か』に違和感を覚えた話

 

ジョンです

 

この話は、以前「イケない関係にまつわる曲紹介」の中で語った、私の「不倫に対する世間の反応」についての考えです。

……が、なにぶん曲紹介の前フリとしては長すぎたんで、切り離して新たな話にしました。

ちなみに曲紹介はこちら

https://john-iwaku.com/post-646

 

……さて

最近は芸能でも社会でも、『不倫』に関するニュースがやたらと多いような気がします。

この手のニュースは昔からあるもんですから、べつに珍しくも何ともないんですが……それにしたって多すぎやしませんか?

正直、そこばっかりを狙って報道しているようなきらいがあります。

視聴者が求めているんでしょうか?

求めているわりには怒っていますけどね。

というか……本人たちの問題なのに、赤の他人が何かしらの『罰』を受けさせようとしていますよ。

不倫が好きなのか嫌いなのかよくわかりません。

 

そりゃあ自分の恋人や伴侶に浮気をされて、怒り、悲しむならわかります。

「家庭を大切にしよう!」と声高に謳っている有名人や政治家が不倫をしているなら、「お前が言うな!!」と国民総ツッコミを喰らわせてもいいでしょう。

ただ、根本的なこととして……他人の家庭の事情とか、どうでもええわ。

 

「有名人は影響力があるから……」なんて意見もありますね。

いやいや……本人が不倫を推奨していても影響なんて無いですよ。

一体、何を危惧しているのかわかりません。

もしかして「○○さんが不倫していたから、自分もしました」なんて人が増えるって?

子どもか。

スポンサーリンク

法律で裁けばいい

正直、世の中を見ていると「他人の不倫に、そこまで目くじらを立てて何がしたいのか?」とさえ思います。

だって、もし本気で不倫が許せないなら、旧刑法にあったような『姦通罪』を再び定めればいいだけのことですから。

これは「不倫をした妻と、その相手」に刑事罰を下すというものです。

そして同様に旧民法も復活させればいい。

姦通罪による刑事罰が下れば「離婚をしても不倫相手とは婚姻できない」という法律です。

 

残念ながら当時は『男尊女卑』だったんで、旦那が不倫をしても罰はないというものでしたが……。

だから、戦後の日本国憲法で『男女平等』が定められたときに無くなりました。

でも妻側だけじゃなく、『旦那側』も罰を受けるようにすればいいだけの話じゃないですか?

そんな簡単なことなのに、社会はその法律自体を無くしてしまいました。

何か罰があるとすれば、現在では民法で『離婚事由』に相当するだけです。

 

なんとなく理由は想像がつきますよ。

当時はまだまだ『男尊女卑』だったんで、男が罰を受けたくなかったんでしょう。

単純に妻帯者が不倫をしたかったんですよ。

これは想像の域を超えませんが、法律を定める人たちの中に愛人を囲う人がいたなら、何が何でも阻止するんでしょうね。

スポンサーリンク

邪推中の邪推

時代は変わりました。

今ならどうでしょう?

とりあえずは『男女平等』という世の中になっていますし、女性の議員さんも増えています。

『正義』という名の下に世間の声が集まれば、再び法律で『姦通罪』を定めることも可能なはずです。

今までは「妻と相手の男性」だけでしたが、今度は「旦那と相手の女性」も裁けます。

平等に罰を受けさせることができるんですよ。

でも……いつまで待っても、そんな日がやって来ませんでした。

 

そりゃあそうです。

みんな不倫がしたいんですから。

いや、これは語弊がありますね。

正しくは「自分が不倫をしてしまうかもしれない」という可能性があることを知っているからでしょう。

「もしかしたら、自分に返ってくるかもしれない……」そんな予感がするからガチの罰を定めたくないんだと思います。

じゃなきゃ、とっくに『姦通罪』が復活しているはずですからね。

 

でも、こればっかりはしょうがないのかもしれません。

なんせ『不倫』を題材にした作品がヒットしてしまうんですから。

人々の心の中に、そういった不確定要素が眠っている気がします。

 

スポンサーリンク

不倫は文化から生まれるという

ちょっと前なら「主婦の不倫」をテーマにしたドラマが大人気で

そんな情事に憧れる主婦が増えたり
実際に背徳に溺れてしまう人がいたり

独身が結婚に希望を持てないほどの社会現象になっていました。

ま、そんなものは今に始まったことじゃないんですけどね。

昔から幾度となく不倫をテーマにした作品がブームになり、社会現象になり、カルチャー年表を開けば不倫が顔を出してきます。

 

今の世の中、不倫に憧れを抱いたこともあれば、過去形や現在進行形の人もいるでしょう。

でも……他人が不倫をするのは許せないんですよね。

あぁ素晴らしきかな日本。

結局のところ、誰かをやり玉に挙げて責め立てることで、自分の中にある『危うさ』をごまかしているように思えます。

「不倫なんか許せない!!」と声を上げていれば、自分は正しい側に立っていることになりますからね。

つまり、悪と対峙している瞬間は『正義』というわけです。

 

もちろん私は、不倫を推奨しているわけでも擁護しているわけでもありません。

ただ、人々が法律を定めるくらい徹底的に向き合わないというのなら、わざわざ他人が踏み込むほどの問題とも思えません。

逆に……マジョリティのベクトルが「不倫叩き」に向かうことに違和感を覚えましたよ。

 

ジョン曰く
もし私が当事者なら、愛ゆえに不倫を肯定をしたでしょう。
そして私が不倫をされた側なら、愛ゆえに否定をするでしょう。
それくらい不安定な問題なのに、第三者が自身の感情だけで「正義の鉄槌」を下す。
こんな怖い話はないですよ。

コメント