ジョンです
童話『アリとキリギリス』は有名な物語。
冬に備え、夏の間にせっせと食糧集めに勤しむアリと、それを横目にヴァイオリンを弾きながら歌って過ごしているキリギリスのお話です。
この話の結末は、冬になり外に食べ物が無くなると、アリは蓄えた食糧で暮らし、キリギリスはそんなアリに食べ物を乞いますが……
「知らんがな」と、突き放されて飢え死んでしまいます。
現代ではこの描写が残酷ということで、「アリがキリギリスを助け、キリギリスはアリに感謝し自らの過ちを深く反省する」というバージョンもあります。
そもそもキリギリスの寿命は冬まで無いねん。
というツッコミはさておき、この物語が伝えたいことは何でしょうか?
- 遊ぶ楽しさも知らずに、ただひたすら生き延びるためだけに働き続ける人生か
- たとえこの先の人生が保証されなくても、自分の思うように今を生きるのか
あなたはどっちの人生を選ぶんだい?
ということなのかもしれませんね(んなこたぁない)
ま、それは冗談として、この物語は「アリさんのように将来に備えましょう」ということを教えています。
でも、なんか違和感があるんですよね~。
だってアリとキリギリスを比較しても……一対多数じゃ分が悪いぜ。
集団で食糧を集められるアリさんに対して、キリギリスはたった一匹ですからね。
歌ってばかりはよくないとしても、キリギリスに対してアリのような生き方をしろというのは無茶な話。
なんせアリという生き物は……「集団の強み」を最大限に活かして、非常に合理的な生き方をしていますから。
というわけで今回は、アリにまつわる雑学を通して「童話では語られない真実」を覗いてみましょう。
コミュニケーション力
どの物語に登場するアリも、その役柄はだいたい「働き者」か「兵隊」です。
そんなイメージが印象付いているのは、きっと『行列』を作って歩いているからなのかもしれません。
律儀に列を守って進んでいる姿が、いかにも真面目で働き者らしく感じます。
でも……わざわざ行列を作っているのは何故なんでしょう?
実はアリが行列を作る習性は、体内から出す『フェロモン』によるものです。
ちなみにこれはアリだけでなく、ミツバチなど集団生活を営む昆虫は、体内からさまざまなフェロモンを発してコミュニケーションの手段にしています。
ことにアリは、一種あたり10~20ものフェロモンを使い分けるというコミュ力の高さ。
ほかの多くの生物も発する性フェロモンをはじめ
- 仲間を誘うフェロモン
- 集合をかけるフェロモン
- 警報を発するフェロモン
さらにはお互いを同じ巣の仲間だと認識したり、違う巣のアリだと区別したり、幼虫の成長ぐあいを確認したり。
これは、ほぼ言語と言っても過言ではないでしょう。
そんな中でもエサの収集に欠かせないのが、尾節腺から出す「道しるべフェロモン」
これが先ほど言った行列を作るフェロモンで、一匹のアリがエサを発見すると「この先にエサがあるぞ!!」という意味を発するフェロモンを撒き散らして歩きます。
そして仲間のアリは、それを頼りにエサの場所まで行くというわけです。
しかも、これは同じ巣のアリたちだけに通じる合図なんで、他の巣のアリたちとエサの奪い合いになる心配もありません。
てっきり「前に付いていく」みたいな単純なものだと思っていましたが、意外に具体的なコミュニケーションなんですね。
つまり、最初のアリが決めたルートを仲間が辿っているから行列になっているだけ。
律儀に列を守るというより、単にそれしか道が無いんです。
ちなみに
アリは道しるべが地面に吸収されないよう、まず「地面をコーティングする物質」を出し、その上にフェロモンで線を引くというテクニックを駆使しています。
なかなかの『知恵者』ですね。
そんなわけで、アリは持ち前のコミュ力を駆使し、仲間と連携をとって、無駄のないエサ集めを行います。
なんせ誰かが用意した道を進めば、他のアリはエサを探さずとも辿り着けるんですから。
こういったエサ集めができるのもアリが集団だからこそ。
たった一匹のキリギリスに、そんなことができるかっちゅう話ですよ。
アリにだって怠け者はいる
働き者といわれるように、ワーカホリックよろしく昼夜を問わずエサ運びに励んでいるアリですが……実は怠け者がいるんですよ。
もし、アリの巣を見つけて観察する機会があれば、よくよく見てください。
エサを運びもせずに、仲間の周りをウロウロしているだけのアリがいますから。
※ちなみにアリの巣を観察していて不審者に間違われても、それは私のせいじゃないんで自己責任でお願いしますね。
……さて
このように怠けているっぽいアリがいるんで、「本当に働かないアリはいるのか?」という実験をした人がいました。
それは北海道大学大学院農学研究院の長谷川英祐さんのグループです。
彼らはカドフシアリ約30匹ずつの三つのコロニー(血縁集団)を、5ヶ月にわたり観察しました。
すると……約二割のアリは怠けて働こうとしなかったんだとか。
仲間の周りを歩いているから、さも働いているように見えるけども、実際は労働とは無縁の行動でした。
つまり、働き者と呼ばれているアリの集団にも、必ずサボる奴がいたということです。
この話が面白いのはここから。
二割が働かないわけですから、全体でいうと八割の働きしかできないのかと思うと……ところがギッチョンチョン
残りの八割のうち二割のアリが、働かないアリの分の埋め合わせをするように非常によく働いているそうな。
つまり
- 普通に働いているアリが六割
- サボっているアリが二割
- サボっているアリの分まで頑張って働くアリが二割
というバランスで「全体で十割」の働きをしています。
さらに面白いことに、働くアリだけを集めると「最強集団」が生まれるかと思いきや、やっぱり働かないアリが二割ほど出てくるそうな。
逆に、サボっているアリだけをあつめると「どうしようもない連中」になるかと思いきや……
その中から、本気を出すアリが二割ほど出てきます。
このことから、集団の中の働かないアリは「働かないことで存在意義があるのかもしれない」と考えられているんだとか。
ちなみに大阪府立大学の研究でも、よく働くアリだけでなく「働きの悪いアリ」などが入った混合集団のほうが、エサの回収率が良いという結果になったといいます。
これは私の考えですが、「ある程度の力を温存」することによって、非常事態に備えているんじゃないかな?なんて思います。
或いは、ローテーションで休んでいるとか、本当はサボっているんじゃなくてサポート的な役割を担っているとか。
いずれにせよ、自然界が生み出したこのバランスは非常に合理的だと思います。
こういうことができるのもアリが集団だからこそ。
たった一匹のキリギリスには、怠けた分を補ってくれる仲間はいませんからね。
比較対象にすべきではない
いかがでしたか?
私はこのアリの雑学を知った上で、改めて童話の内容に目を向けると違和感があります。
もちろん、アリさんが冬を越せるのは「働いていたから」なわけですが、それよりも「集団の強み」があるからと言えるでしょう。
先ほどまでの話で触れませんでしたが、アリにはそれぞれに役割があって
エサを探す、エサを運ぶ、持ち帰ったエサを保管する、巣穴を作る、巣穴を守る、幼虫を育てるなどなど。
一連の活動を『組織』で行っています。
しかも二割はサボっていてもいい、他の二割が頑張っているなら残りの六割は普通でいい。
つまり……たとえ怠け者でも、この集団に属してさえいれば冬を越せます。
にもかかわらず「自分、好き勝手に歌ってたんやから当然やで」なんて言われたら……
「おい!ちょっと二割のサボっている奴を連れて来い!!」
と、キリギリスも言いたくなるはず。
だから比較対象が一対多数じゃ「分が悪い」というわけです。
それに冒頭でも話しましたが、キリギリスは春に生まれ、冬には寿命を終えます。
しかも成虫になってからは2ヶ月あるかないかです。
その短い一生を謳歌することの何がいけない?
たった一匹でエサを探し、縄張りを守り、自らが捕食されないように身を潜めて生きている。
自由と引き換えに危険と隣り合わせの一生を過ごすなかで……「生きる喜び」を歌って何が悪い!!
キリギリス一匹、ヴァイオリン持てば侍ですよ。(なんのこっちゃ)
ま、たかが童話にそこまで熱くなる必要もないんですけどね~。
どうも私は「一対多数の構図」を見ると火が点くタイプのようで……。
アリのような集団は合理的ですが、残念ながら人間社会で構築するのは難しそうですね。
なんせアリは『種』を残すためだけに生きているんで、たとえ隣がサボろうが自分の役割は全うしますから。
もし、そんな絶対的平等の集団の中に『個』が生まれたら、きっとペレストロイカっちゃいますよ。
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