ジョンです
もう16年も前の大晦日。
親友と街に出掛けたら思いのほか帰りが遅くなってしまって、終電を逃してはいないものの、終着駅で発車待ちをしている電車に乗っていました。
当時は「ミレニアム」ということで世間は大騒ぎ。
何かが起こるかもしれない、何かが変わるかもしれない。
そんな期待と不安が入り混じった1000年に一度の日。
どういうわけか私たち以外に乗客がおらず、その不思議な光景が、殊更、その時間を神秘的に感じさせました。
世紀末が終わり、まさに2000年を迎えようとしている世界。
「どうするよ?もう2000年が来ちゃうで」と一人ワクワクしている私の横で……出会い系サイトの女の子をチェックしている親友。
……
なんじゃ、この状況!!
以来、私は「年越しの瞬間」に何の感情も持たなくなりましたとさ。
というわけで、年末年始にまつわる雑学から3つを紹介します。
御屠蘇
正月といえば、おせちにお雑煮に『御屠蘇(おとそ)』です。
最近では正月に飲む祝い酒(日本酒)のことを御屠蘇と称している場合がほとんどだそうですが、実際に『屠蘇』を飲む風習はいまでも多く見られます。
一年の健康と長寿を願って、元日の朝に飲む。
この風習、もともとは中国から伝わったものでした。
その歴史は、中国では「唐の時代」にまで遡ります。
その昔、『屠蘇庵』という小屋に隠れ住んでいた孫真人(孫思襞)が、大晦日の夕方、毎年一つの袋に薬を入れて故郷に送りました。
そして、これを井戸に浸けさせ、元日の朝に取り出し酒樽に入れて飲むようにさせていたんです。
それを村人たちが真似たんで、屠蘇庵にちなんで『屠蘇』と呼ぶようになったそうな。
ただ、中国ではこの風習はすでに廃れていて、現在は伝わった日本だけに残っています。
日本において屠蘇を飲む風習が広まったのは、嵯峨天皇の九世紀はじめの頃。
宮中では、一献目に『屠蘇』、二献目に『白散』、三献目は『度嶂散』を飲むのが決まりでした。(※すべて薬草を混ぜたお酒です)
この宮中での儀礼が民間に伝わり、医者が「薬代の返礼に」と配るようになり、それが現在では薬局が年末に『屠蘇散』を配る習慣として残っています。
ちなみに屠蘇散の中身は
- 山椒(さんしょう)
- 白朮(びゃくじゅつ)
- 桔梗(ききょう)
- 防風(ぼうふう)
- 陳皮(ちんぴ)
- 肉桂皮(にっけい)
- 赤小豆(せきしょうず)
の七種類。
冬は風邪をひきやすいんで、防風や白朮など風邪薬にも入っているものが主成分になっていて、桔梗は咳止め、山椒や肉桂皮は胃の薬です。
せっかくなんで「風邪予防」として元日の朝に飲んでみてはいかがでしょうか?
スーパーなどでは年末に「みりん」を買うと付いてきたりしますが、実際に屠蘇を作る際は「みりん」でも「日本酒」でもどちらでも構いませんよ。
どっちも「お酒」ですからね。
年末の交響曲第九番
年末といえば『第九』です。
日本では年末になると、ベートーベンの『交響曲第九番(合唱)』のコンサートが連日のように開かれます。
ドイツでも大晦日に第九を演奏することがあるようですが、これは何もヨーロッパ諸国に共通した風習というわけではありません。
アマチュアからプロまで、たくさんのオーケストラや合唱団が、こぞってコンサートを開く光景は日本だけといってもいいそうな。
じゃあ……なぜ日本では、年末に『第九』のコンサートが開かれるようになったんでしょうか?
歴史を遡ると、1947(昭和22)年12月9日から13日に、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が『第九』のコンサートを開いたのが始まりとされています。
戦後間もない時期、人々は食べるのに一生懸命でクラシックのコンサートを楽しむ余裕なんかありませんでした。
だから楽団員も低収入で生活が苦しい人ばかり。
そこで「お客を呼べる第九」をプログラムに組んだコンサートを開くことで、年越しの資金を得ようというのがそもそもの発想でした。
大勢の合唱団がつく第九を演奏すれば、合唱団員の家族や友人が聴きにくることが見込まれますからね。
つまり『第九』は、楽団員の臨時収入を考えてのプログラムだったわけです。
なるほど~、チケットを手売りで捌くよりも、よっぽど効率の良い集客ですよね。
とはいえ、第四楽章の『歓喜の歌』は、新しい年を迎えるにあたっての「喜びと期待」を感じさせてくれますから、それはそれで年末にふさわしい楽曲だと言えます。
ま、私の場合はエヴァンゲリオンの世界観のほうが強いんですけどね……世代的に。
年賀はがき
年賀状は書いていますか?
私は大人になってから年賀状を書いていません。
毎年「もらってばかりで申し訳ないなぁ…」と思いながら、メールで返事を済ます筆不精。
気持ちはあるんですよ、気持ちは。
さて、この年賀状の歴史。
きっと古くは江戸時代から……なんて思いきや、意外にも明治時代からのものです。
よくよく考えれば『郵便制度』が始まってからですよね。
そもそも、ちょんまげの時代には字を書けない人が沢山いますし、年始は挨拶回りに出向くのが一般的でしょう。
日本の郵便制度が全国的に実施されたのは、1872(明治5)年のことです。
当時は、この制度がまだまだ一般に定着していなかったんで
- 切手を貼らずにお金をくくりつけていたり
- 食べ物を送ろうとポストに入れたり
- 返事が出てくるのをポストの前で待っていたり
今ではチョット考えられないようなことがあったそうな。
ポスト自体も馴染みがないんで、「ゴミ箱」と間違えないように赤色になったという話があるくらいです。
どんな制度でも最初は戸惑うもんですね。
ちなみに、郵便切手が初めて発行されたのは1871(明治4)年の3月1日。
方形で双龍の紋様のある、銭四十八文、百文、二百文、五百文の4種で、当時は『郵便印紙』と呼んでいました。
さて、そんな感じで始まった郵便制度も次第に定着していき、1882(明治15)年頃からは、現在でいう『年賀状』が一般的になったと言われています。
年賀状を送る習慣が定着しはじめ、次第に差出枚数が多くなったことから、1906(明治39)年11月には年賀特別郵便規則に従って『特別集配』となりました。
さらに1935(昭和10)年には『年賀郵便特別切手』も発行され、益々、年賀状は日本の文化として広まっていきます。
ところで、年賀状といえば「お年玉付年賀はがき」
実は……正式には「お年玉付郵便はがき」と言います。
どうでもええわ。
じゃなくて、このお年玉付年賀はがき……実は増収を狙ってのアイデア商品として売り出されたものだったんです。
1949(昭和24)年12月1日から始められた「お年玉付」は見事に大当たり。
ご存知の通り60年以上もの間ずっと続いています。
近年は「年賀状離れ」が問題になって、この制度自体が赤字になるかどうかが話題になったこともありましたね。
知り合いの郵便局員に「販売ノルマ」の話を聞かされると、それぞれが自主的に行う習慣としては既に破たんしているような気もします。
それを打破するためなのか、最近はネットで簡単に丸投げできるサービスが生まれましたが、どうなんでしょうね?
機械的になればなるほど『年賀状』という習慣に違和感を覚えますよ。
そもそも『郵便』という制度の上に生まれた習慣なわけですから、『メール』というシステムに取って代わられても不思議じゃありません。
だから年に一度の挨拶状だけを売り込むよりも、いま一度、手紙や葉書を書く習慣を積極的に広めていったほうがいいような気もします。
筆不精な私は、そう思いますよ。
年賀状を書かない代わりに「年始の挨拶回り」でもしましょうかね。
あ、筆不精だけじゃなく、出不精でした……。
気持ちはあるんですよ、気持ちは。
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