ジョンです
私は子どもの頃から時代劇が好きで、今でも再放送があれば観ています。
どこが好きかと聞かれると答えに困りますが、一つ言えるのは「お決まりのパターン」が見たいわけじゃないんです。
チャンバラは好きですけどね。
どちらかというと時代背景が好きなのかもしれません。
もちろん作品自体は誰かの作り話ですが、その時代に生きる人たちの心情を窺い知れるような感じが楽しく思えます。
というわけで、今回は時代劇にまつわる雑学から3つを紹介。
いわゆる「知りたくなかった系」の雑学かもしれませんが、そういうのを知った上で観るというのもアリかと……。
八丁堀の同心
時代劇に出てくるカッコイイ役どころの一つ『同心』は、現代でいうなら「刑事」といったところでしょうか。
いわゆる「アウトローな人たち」にも強気でいけるお役人様で、庶民からは一目置かれている存在です。
ちなみに「八丁堀の旦那」と呼ばれているのは、当時、組屋敷のあった八丁堀にちなんでのこと。
それだけ庶民の身近にいる存在で、親しまれ、頼りにされていたということでしょう。
そんな「町のヒーロー」のような同心ですが、実際のところは色々と事情を抱えていたようですよ。
実は『同心』というのは幕府の役人の中でも最下級の武士で、将軍様には目通りできない『御目見得以下(お目にかかれない)』という立場。
収入はわずかばかりで、町奉行所内の地位もそれほど高くはありません。
さらに驚くことに……同心は名義上「一年契約」の身分で、非常に不安定な雇われ方だったんです。
毎年、大晦日に与力に呼ばれて「再契約かどうか」を知らされるという立場だったそうな。
現代でいう『契約社員』のようなもんですね。
ただ、契約更新じゃなくて『再契約』というところに怖さを感じます。
つまり、同心が抱えていた事情というのは、最も働いて最も危険な現場に出たにもかかわらず、扱いは契約社員だったということ。
ただ、だからといって家計が火の車かというと、案外そうでもなかったりします。
というのも……実際には、それなりの付け届けや副収入があったんで、生活は潤っていたそうな。
そりゃあそうです。
庶民の暮らしを守ってくれているのは同心なんですから、そんな状況を庶民が黙ってはいませんよ。
家の近所の防犯に一役買ってくれているからと、盆暮れに長屋などの大家から贈り物が届くこともあります。
表向きは「下級武士だから」と差別している大名も、屋敷の周りの防犯など、何かと世話になっているからと個人的に金品を渡していた事もあったそうな。
もしかしたら、ちょっとした事件を「もみ消してもらう」ために、付け届けをしている輩もいたのかもしれません。
特別な出世でもしない限り「下級武士は下級武士のまま」ですが、考え方によっては雇われ方のわりに悪くない人生のようにも思えましたよ。
いつの時代も『副収入』が大事なのかもしれませんね。
火打石と切り火
時代劇はフィクションですから、場合によっては「あれ?ちょっとおかしくない?」なんてシーンがあります。
もちろんデタラメな作品を撮っているわけじゃないんですが、何気ない『演出』が時代考証上は間違いになることも。
たとえば『切り火』という習慣。
切り火とは、主人が出かけるときに、後ろでおかみさんが火打石をカチカチと鳴らす「おまじない」のことです。
子どもの頃は、このシーンに憧れていましたよ。
旦那さんの無事を祈って「カチカチ」と鳴らす奥さん。
なんか幸せじゃないですか?
奥さんにそこまでしてもらえる旦那さん、そして、そこまでできる旦那さんがいる奥さん。
私は素敵だと思いますよ。
そんな江戸時代の「粋な習慣」ですが、ここで残念なお知らせがあります。
実は切り火は……明治からの習慣だったんです。
明治20年代の当時、マッチが普及したことにより『火打石』の需要は急激に落ち込みます。
そこで火打石業界は、販売促進のために『切り火』という縁起かつぎを考案し、それを宣伝しました。
すると、とび職や左官職人など、危険な仕事に携わる人たちから「災難防止のおまじない」として普及したというわけです。
まさかの「近代化がおまじないを生んだ」という結果でした。
はっきり言ってしまえば、使い道がない物を売るために考えられた事なんで、おまじないとしての効力は怪しいもんです。
ただ、先ほども話したように、これは奥さんが旦那さんの無事を祈ってしていること。
「日々、願い続ける」ということ自体には効果があるのかもしれません。
また、思いやる気持ちを表現し、それを旦那さんに伝える方法としてみれば、夫婦円満の効果は期待できそうです。
女性は「わかりやすい愛情表現」を男性に求めていますが、男性だってそれは同じことですからね。
時代劇の演出で使われるのも、この習慣が『愛情表現』として伝えやすいからなのかもしれませんね。
江戸の町と女性
時代劇を観ていると、江戸の町からは華やかさが感じられます。
町娘がいて芸者がいて遊女がいて。
ただ、実際には時代劇のような男女が入り混じった光景は程遠く、初期の江戸は「男だらけの町」だったそうな。
……というのも
いまでは町人文化が栄えた時代として語られていますが、もともと江戸の町というのは幕府による政治の中心地として作られた「武士の町」
だから、はじめから男が多かったんですよ。
当時、江戸で暮らしていたのは「およそ100万人」と想定されています。
全体のうち半分を占めるのが幕府直属の「旗本や御家人」、諸藩の大名屋敷に住む「武士」、あるいは「僧侶や神官」といった男たち。
そして残りの半分が「町人や商人」といった一般人。
じゃあ、その中で江戸の町にいた女性の数はどれくらいだったんでしょう?
「商人や町人が全体の半分だから50万人として、男女比は半々だから女性は25万人くらい?」
1721(享保6年)、『暴れん坊将軍』でお馴染みの徳川吉宗の時代に実施された調査では……男性が32万3286人、女性は17万8109人。
少なっ!!
100万人いて女性が18万人弱て……。
合コンで言えば「男8:女2」
幹事ヘタクソか。
その後、次第に町が『町人文化』を中心に栄えていったわけですが、それも男の数の拡大につながりました。
- まずは生活に困窮する旗本が江戸に進出。
- 次いで近江商人や伊勢商人などの男たちも進出。
- また、地方から出てきて江戸の商店で働く奉公人も男。
- さらには商業を支える職人や人足(肉体労働者)の仕事に就く地方出身者も男ばかり。
そんなこともあって、一旦、男の比率が極端に多くなってしまったというわけです。
昔は『男社会』なんて言われていましたが、本当に男ばっかりの社会なんて御免こうむりますよ。
ま、男ばっかり映されても面白くないんで、時代劇はデフォルメされているくらいが丁度いいと思います。
人で溢れかえった都会の中心で「出会いがない」と叫ぶ現代ですが、この時代と比べれば……まだ女性がいるだけマシなのかもしれませんね。
江戸の町には女性が少ないのに、将軍様には『大奥』があったっていうね……。
……なにそれ羨ましい。
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